特別展

TVチャンピオン                                                
 
”新・手先が器用選手権U”
                  出場レポート

2003年11月27日、テレビ東京系にて放送されました「TVチャンピオン 新・手先が器用選手権U」に出場しました。ここでは、出場までの経緯と収録の様子をレポートしたいと思います。

第一章 「TVチャンピオン」との出会い・・・極小折り鶴職人へのきっかけ
第二章 「TVチャンピオン」出場へ動く
第三章 すれ違い
第四章 長い、長い・・・
第五章 決戦前夜
第六章 非日常的な2日間
第七章 夢の終わり・・・夢のはじまり・・・
フォトギャラリー

第一章 「TVチャンピオン」との出会い・・・極小折り鶴職人へのきっかけ

 「TVチャンピオン」はテレビ東京で1992年から始まった競技型バラエティ番組で、静岡では系列局がないため当時から土曜(日曜?)のお昼に放送されていました。当時、高校生であった私もお昼ご飯を食べながら見ていました。大食いとかラーメンとか似顔絵とかプロモデラーとか、いろいろな選手権をやっていましたが、その中で異彩を放っていたのが「手先が器用選手権」でした。そのネーミングもさることながら、競技のバカバカしさ(良い意味で)、過酷さ、すごさから、TVチャンピオンの名物企画・代名詞の一つとして「見てるだけで疲れるけど、また見たい」と多くの人に支持されています。細かいことをするのが好きだった私ももちろん好きで、大食いとかはどう頑張っても無理だけど、手先が器用はいつか出てみたいと思っていました。
 そんな感じで、いつものように「TVチャンピオン」を、「手先が器用選手権」を見ていたときに、極小折り鶴と出会いました。たしか競技名も「極小折り鶴勝負」ではなかったかと思います。始めは1m四方の紙で折り鶴を折り、その後1cm、8mm、6mm、4mm四方の紙で順に折り鶴を折っていくというもので、制限時間があり、それぞれのサイズを折りあげた時点で日本折紙協会の人にちゃんと折れているか判定してもらうというカタチでした。ピンセットや針を使って器用に折っていく様子に釘付けになったことを覚えています。競技後、折紙協会の人が、チャンピオンになった原口さんの折った4mm鶴を「最も小さいモノではないか」と言ったのを聞き、なぜか「挑戦してみよう」と思ったわけです。
 これまでにも暇な時とかにガムの包み紙とかプリントの端っこで小さめの折り鶴を折っていましたが、大きさを意識して小さな鶴(極小鶴)を折ったのはこれが初めてだったと思います。きっとピシッと折り目のつく紙の方が折り易いんだろうと思い、アルミ箔を4mm四方に切って、テレビで見た通りにピンセットと爪楊枝を使って挑戦してみました。しかし(というか、やっぱり)折ることはできず、改めてTVチャンピオン出場者のすごさを実感するとともに、出てみたいという気持ちを強くしたのでありました。

 4mm四方は折ることができませんでしたが、1cm四方ではなぜか道具を使わないで折ることができたので(最初はピンセットとかを使ったのですが、うまくできず思い切って指だけで折ってみたら、結構簡単に折れちゃったのです)、それ以降、1cm四方の鶴をよく折るようになり、それを千羽鶴にしてみようと考え、ここから極小千羽鶴への挑戦が始まりました。極小折り鶴職人へのきっかけは「手先が器用選手権」だったといってもいいかもしれません。

第二章 「TVチャンピオン」出場へ動く

 しかし大学生になると、極小千羽鶴で日本一を目指すという目標を見つけ、それに向かって極小鶴だけを折り続けていたため、「TVチャンピオン」のこと「手先が器用選手権」のことはすっかりアタマから抜けてしまっていました。
 96年に7mm千羽鶴を完成させ「日本一協会」から認定をされた頃、日本折紙協会の方にも確認をしてみようと、翌年、ちょうど浜松で折紙協会主催の「折り紙展」が開催されていたので、会場に行ってみました。すると、極小千羽鶴で日本一になろうと思ったきっかけとなった9mm千羽鶴を作った方が「6mm千羽鶴を完成させ、今は4.5mmを製作中」ということで、その記事の載った折紙協会発行の「月刊折り紙」を見せてくれました。「まだ日本一じゃなかったんだ」と思うと同時に、「この人の4.5mmより先に4mmを完成させれば、本当に日本一になれる」と思い、またやる気が湧いてきました。気持ちも新たに、せっかくなので「折り紙展」を見て回っていると、展示作品の中に「手先が器用選手権」で原口さんの折った”あの”4mmの極小折り鶴がありました。私の極小千羽鶴の原点とも言える4mm折り鶴を見たときの感想は「折り鶴としては結構キビシイかな?」というもので、製作されてからだいぶ時間が経っていたり、競技の時に数回折っただけだろうということはあると思うけど、今の自分ならもっときれいな4mm折り鶴を折ることができる・・・このとき、アタマから抜けていた「手先が器用選手権にでる」という思いが蘇り、その4mm折り鶴で千羽鶴を完成させたとき、極小千羽鶴日本一になるとともに「手先が器用選手権」に出場できるだけの力を実感できるのではないか・・・と強く感じました。「手先が器用選手権に挑戦してみたい」という気持ちから始まり、それが過程から目標に変わっていった極小折り鶴・千羽鶴作りが、ここで再び「手先が器用選手権出場」と繋がったのでした。

 97年11月15日、サッカー日本代表がワールドカップ初出場を決めたその日、私も日本一となる4mm極小千羽鶴を完成させました。これで一応、肩書きを得ることができたので、次は私が「手先が器用選手権」出場を決めるぞ!と、思ったちょうどこのころ、TVチャンピオンで「すごい人募集」というのをやっていました。そのころは、今のように出場者募集というカタチではなかったので、とりあえずこれに応募してみました。すると、翌98年4月14日にテレビ東京から「すごい人募集に応募いただき、ありがとうございました。審議・検討の結果、貴方様が御採用されました。」という手紙と商品券が届きました。採用というのは、どういうことだろう?後日改めて出場の話が来るのかな?と、同封されていた商品券(募集時にプレゼントの話もあったかもしれないけど、このときは何でもらえたのかよくわからなかった)と共に不思議に思いながらも、これで出場できるかも?と、「果報は寝て待て」で、とにかく待つことにしてみました。
 しかし98年は寝ていたわけではなく、「ズームイン!朝!」をはじめ、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・イベントと本格的に「極小折り鶴職人」としての活動を行い、出場依頼が来ることを願って腕を磨いていきました。

第三章 すれ違い

 「すごい人」に採用されたのですが、その後進展はありませんでした。考えるところに、どうやら採用というかリストに登録されたようだけど、合う企画(手先が器用選手権)がなく出場には至らなかったのではと思います。大学を卒業し社会人になった頃には、また「TVチャンピオン」のことはアタマから抜け、「すごい人募集」に応募・採用されたことも忘れてしまいました。
 そんなある日、その知らせは急に来ました。2001年5月26日に「TVチャンピオン」のリサーチをしているフォーチュンスープというところから、メールにて「今度『手先が器用選手権』を行うことになり、是非一度、お電話でお話させていただきたく・・・」という事でした。ついに「手先が器用選手権」から出場依頼が来たと、「TVチャンピオン」のことを忘れてしまうほど寝て待っていたのも一気に目が覚めて喜んでいましたが、ここから実際出場が決まるまでが長い道のりになろうとは思いませんでした。
 早速電話をし、詳しい話を聞いてみたところ、ここ数年「手先が器用選手権」は休止状態になっていたこと、「すごい人募集」での採用については知らなかったことなど、どうりで話が来なかったわけだということがわかりました。で、今回の件は「手先が器用選手権」が久々に復活するということで、「世界大会」と称し、日本代表として2人が中国に行き、中国の手先が器用な達人と対決するというスペシャルをするので、7月6日から12日まで上海に行けますか?というものでした。初出場でいきなり「日本代表として中国へ」というのも話が大きすぎて気が引けたこともありましたが、一番の障害は”日程”でした。「すごい人募集」に応募した学生時代であれば、何ら問題はなかったのですが、今は社会人であり、ちょうど忙しい時だったので、泣く泣く断ることになりました。2001年はこの「TVチャンピオン」だけでなく、いろいろなところから出演依頼をいただき、実際何回か出演する事ができました。たまたま重なっただけだろうけど、こうやって話が来るのだから「TVチャンピオン」に出場するチャンスもまた訪れるだろうと思い、活動を続けていきました。
 
 すると、翌02年11月18日、2度目の出場依頼が来ました。今度は通常企画「新・手先が器用選手権」として行われるもので、12月に3〜4日間の予定とのこと。前回、日程が合わず即断ってしまったので、今度も12月の忙しいときではありますが何とかいい返事ができるようと、頑張って休みをもらいました。これで正式に”候補”になったわけですが、ここからがまた大変で、自己アピールをするために極小作品を送ったり、競技で作る作品案をFAXしたりと奮闘しましたが、最終8人までは残ったものの、結局収録日の5日前に「残念ながら・・・」落選してしまいました。出場に近づいたものの、今度は向こうに断られてしまい、やはり出場までの道のりは険しいなと、改めて感じさせられました。昔は単純作業的な競技が多かったですが、今は創作的なものに人気があるため、今の折り鶴しかできない状況では出場は難しいと考え、もっと技術・知識を増やしてから再挑戦するようにしようと思いました。
 
 しかし、それから約1年後の翌03年8月、3たびお話をいただきました。前回、落選していることから、実力的に時期尚早ではないかと思いながらも、今回は10月中旬の収録予定で、日程的にはなんとかなりそうなので、ダメ元でチャレンジしてみることにしました。プロフィールを送り、作品を送り、そして競技用の作品案を送り、正式な出場依頼を待つ。ここまでは前回と同様でしたが、収録予定日(10月13日)の約2週間前の9月27日、出場決定の知らせが届きましました。”3度目の正直”というわけではないですが、「手先が器用選手権」「極小鶴」に出会ってから10年、ついに念願の「手先が器用選手権」出場となりました。
 出場まで、本当に長い道のりでしたが、ここから先がこれまでの10年と同じくらい長いと感じるものになろうとは・・・。

第四章 長い、長い・・・

 聞くところによると、約2週間前に出場が決まったのは、これまでの出場者の中でも早いほうらしい(実際、決定の電話をもらった時点で、他の出場者は選考中だったらしい)のですが、その時間がかえって長くツライものになりました。
 それは1R・ミクロシューター対決についてで、前回も事前に作品案を考えて送るというのが大変で、多分これで落選したのだと思ったんですが、好評につき今回も似たようなモノをやることになり、またしても作品案について悩まされることとなりました。しかも今回は、不確定な部分が多く、前回のような対決をする、ということしか決まっていない状況で作品案を考えてFAXして欲しいと言われましたので。前回は、ミニチュアの仕掛け人形について考えたこともなかったところで、少ない時間で案を出さなければなかったため、ホント簡単でありきたりのモノになってしまったので、そのときから次はちょっと無理かな?というくらいのモノを送り、それを作れるように頑張ろうと思って、「プレイスキック(PK・FK)を蹴るサッカー選手」を案として出しました。しかし、それが実際にカタチにできないといけないわけですから、すぐに機構の製作に取りかかりましたが、なかなか精度が高まらなず、本当にできるのか?という不安の日々が続きました。その後、競技の詳細が固まってきて、PK対決になったと連絡がありました。どうやら、私がサッカー人形を考えたことで、PK対決ができそうだということになり、競技が決まったとのこと。とりあえず、自分の考えてきたモノが企画に合ったということで、引き続きこの人形の製作を進めていけばよくなったことは良かったのですが、残り少なくなった期日と事実上、自分の案が採用されての競技が決定したということが、なかなかカタチにならないことの不安をさらに煽ることとなりました。その間も、制作会社からは連日のように作品案の詳細について提出を求められていましたので、正直、断ってたほうが楽だったかなぁと思うくらいでした。しかし、「途中で棄権しません」っていう同意書に署名・捺印してしまったので、もう辞退することもできず、ただただ悩むばかりでした。
 そうこうしているうちに2週間あった時間も少なくなっていき、収録まであと4日と迫ったところで、これまで考えたモノをリセットして、別のモノを始めから考えて欲しいと言われました。結局カタチにすることができなかったものの、これまでずっと考えてきた路線をここで変えなくてはならないというのは、本当に大変でした。イメージも固まりつつあったため、それを外して新しいものを考えなくてはならなくなったわけですから。10日近くかけてもできなかった事が1日でできるはずもなく、アタマに難題を抱えたまま、プロフィール撮影となりました。

 プロフィール撮影は、10月10日に職場と自宅で行いました。まず16時頃、職場の方にスタッフが来て、外観や中での仕事風景を撮影しました。久しぶりのテレビ出演ということもあり職場ということもあり、堅かったようでいろいろと演技指導を受けながら17時頃終了。その後、仕事を終えてスタッフと共に帰宅。引き続き、自宅での撮影に入りました。これまでの経験上、6時間くらいは普通にかかるので、のんびりした気持ちで望みました。とりあえず極小鶴を折り、いろいろコメントを言って、折っているところを撮影して・・・これだけで21〜22時だったと思います。プロフィール冒頭の、机いっぱいの折り鶴をその場でスタッフと一緒に折ったので、それで時間がかかりました。その後、物撮り(作品単体の撮影)が応接間のほうで行われ、すべての撮影が終了したのは日付変わった1時半でした。これまでで最長の9時間半かかり、さすがは「手先が器用選手権」と思いました。
 結局、この日はプロフィール撮影でつぶれてしまいましたが、直接、担当ディレクターと話ができたことで、作品案が固まり、物撮りの時間でなんとかイメージができあがりました。これまでずっと、このことで悩まされてきましたので、その意味でも、これでやっと「手先が器用選手権」に出られる、始められるという気持ちになりました。

 東京には前日12日に行くことになり、人形作りは1日しかできなかったですが、なんとか球を発射し的が狙えるところまでカタチにすることができ、ホッとしました。
 東京に出掛ける前に、地元の森林公園に散歩に行きました。連日アタマを使ってフラフラになっていたので気分転換と、これから数日間スタジオに閉じこもっての根を詰める作業が待ってますので、その前に森の良い空気を吸っておこうということで。おかげでアタマがスッキリし、いよいよという気持ちを新たに東京に向かいました。

第五章 決戦前夜

 15時過ぎの新幹線で東京に向かい(車内ではやっぱり鶴を折ってました)、18時頃東京駅に降りました。到着前、携帯に制作会社から電話があり、連絡を取り合っていた人が迎えに来られないので別の人がくるとのこと。まぁ、誰が来ようと顔を知らないないわけだから、無事に会えるかなぁと思ってましたが、いかにもスタッフという感じだったし、手元に「TVチャンピオン」と書かれた書類らしきモノを見つけたので、結構簡単に合うことができました。その後もう1人、京都からの人とも合流し、ホテルに向かうことに。しかし、その出迎えてくれたADさんは東京に出てきてまだ半年ということで、いきなり地下鉄の乗り場が分からず、大丈夫かなぁと思っちゃいました(自分もそんなに東京に詳しくないので)。一抹の不安を抱きながらも、移動中、京都から出場の紀藤さんと「どんなことされてるんですか?」など話をしたりしました。初対面ではあったけれど、私より先にプロフィール撮影をしていたことから、少しディレクターさんから話を聞いていたこと、そして何より、自分と同じく「手先が器用」な事が好きな人ということで打ち解けるのは早かったです。そうしているうちに、何とか無事に今回滞在する「ホテル三田会館」に到着。食事は近くの中華料理店で3人で食べ、出場の経緯とか、競技のこととか、作品のこととかいろいろ話しました。でもやっぱり一番気になるのは、明日の1Rのこと。結局、試作品は完成しないまま東京に来てしまいましたので、「今日はゆっくり休んで下さい」と言われても、ゆっくりしてられなかったです。紀藤さんも同じということで、お互い早々に部屋に戻り、明日に向けての準備をしました。私の作品は正直言って、構造的・造形的には誰にでも作れるようなレベルのものだったので、それにどうやって「さすが手先が器用」と言われるような細かい細工や自分のカラーを出すか・・・といったことを考えて、作業をしてました。また、明日は3時間という制限時間の中で完成させなければいけないため、できる限りの準備をしたりで、結局寝たのは朝の5時でした。ゆっくりするどころか、ほぼ徹夜してしまい、ちょっとハイな状態のまま、収録に望むことになりました。

第六章 非日常的な2日間

10月13日、収録初日。朝、迎えのクルマでホテルを出発。この時点で、どこに行くのか全然聞かされてなく、アイマスクとヘッドホンをしてたらまさに某番組のようだなぁと思いながら、車内では紀藤さんと「何時に寝ました?」「できそうです?」という感じの話をしてました。途中、田町駅で残りの2選手(前田さんと上山さん)を拾い、スタジオに向かいました。1R作品のタイトルは、この時考えることになり、私は寝てなくて正常な思考ができなかったため、適当に命名。今思うと、もっといい名前つけてあげれば良かったなぁと後悔してます。そうしていると、クルマは海の方に近づいていき、スタジオに到着。そこは港の倉庫で、なんか怪しい感じ。犯罪のニオイが・・・なんて、さすが寝てないだけあって夢で見てるようなことを思いながら、エレベータに乗ったわけだけど、そのエレベーターも荷物搬送用の大型エレベーターで、ますます怪しい感じ。でも、エレベーターの扉が開くと、そこには「芝浦スタジオ」「studio LOFT」と看板が。なぜかちょっとホッとしました。
 全員、選手控え室に入り、そこで改めてご挨拶。前田さん、上山さんもやはり「手先が器用」なことが好きな方々なので、仲良くなるのに時間はかかりませんでした。本当に初対面なのかという感じで、お話するのが楽しかったです(ハイだったのも手伝って、トークが止まりませんでした)。10時頃、収録現場に入ったんですが、準備等の関係で撮影は昼過ぎだったため、結構長い時間、話したりお昼を食べたりしました。あと今回、選手のゼッケンがTシャツになっていたのに驚きました。放送では数回前からTシャツに変わったらしいのですが、私の中では「ゼッケン」のイメージが強かったので。自分の名前がデカデカと書いてあるTシャツを着るのは結構恥ずかしかったです。午前中のウチに、各選手の1ショットを撮影し、午後から、いよいよ1Rの撮影が始まりました。

まずはセットの前で4人並んで撮影。腕組みをしたり、カメラをちょっとにらむようにしたりと注文を受けながらしました。そして、MCの中村有志さんも加わって、オープニングの部分や、各選手へのインタビューを撮影。私は、10年前「手先が器用」を見て極小鶴を始めたので、この番組に出るのが夢でしたとお話ししました。撮影後には、10年前の極小折り鶴勝負のことについて、あれは赤坂の幼稚園でやったとか、今回の演出の方が当時ADだったとか、いろいろお話ししてくれました。10年も前の事をここまで克明に憶えていることにホント驚きました。上山さんが別の企画で出場していたことも憶えてらっしゃってたので、私も憶えていてもらえるように頑張ろうと思いました。
 冒頭部分を撮り終え、いよいよ1Rの人形製作に入りました。この数週間、このために苦労してきたわけなので頑張りました。放送では、PK対決とフリースロー対決が別々になっていますが、4人同時に製作しました。しかし、選手4人に対し、カメラは3台ということで、各々製作工程の見せ場というところでカメラさんや有志さんを呼んで、その様子を収録するという感じでした。私の場合は、見せ場というのは最後の装飾部分だけでしたので、ただ黙々と作業をしました。間に合わないかも?というのがずっとありましたので。それでも何とか、紙を切るところや貼るところを撮ってもらって、作品も完成。ホント一時はどうなることかと思いましたが、何とかなるんもんですねぇ。他の方の作品と単純に比べたら、ちゃちいモノですが、折り鶴職人として”紙”を前面に出すことができ、自分としては満足でした。PK対決の対戦相手、現チャンピオンの前田さんとの芸術点審査で、あのすばらしい作品と1点差だったのも、これまでの彫刻や造形とまた違った、手法・雰囲気によるものだったのではないかと思います。正直、芸術点の方は見込めないと思って競技重視の作品作りをしてきたので、予想外の僅差に、これはいけるかも?と思い競技に臨みました。
 芸術点審査後、競技の準備の間、審査員として来られてた「手先が器用」のチャンピオン、神野さんに作品を見せてもらいました。HPを拝見したことがあったので、そこに掲載された作品を間近に見ることができ、とても楽しかったです。ちょっと創作意欲を刺激されました。
 競技を行う前に練習をしましたが、これが絶好調でどんどんボードを抜いていきました。この勢いで本番も、と思ったんですが、本番ではことごとく枠に阻まれて・・・2枚抜きがあったらすごいことになっただろうし、実際のPKだったらカーンでも取れないだろうなぁーってコースに行ったんですけどねぇ。戦前の大方の予想では、前田さんのはコースを狙うのがホント難しいので、競技では私に歩があるだろうということだったんですが、芸術点で僅差になったことにより必要以上にポイントを意識して、本番に弱いのがモロに出てしまったことと、前田さんの技術のすばらしさが敗因だったと思います。前田さんの作品を普通にやっても、まず当たらなかったのではないかと思いますが、それであれだけの結果を出したんですから、本当に「手先が器用」な人だと思いました。それにしても、芸術点審査員のセガトイズ・横関さんにも「江間さんは競技が良さそうなので」と言ってもらったのに、お恥ずかしい限りでした。でも、その横関さんの「競技のほうが良さそうなので、1点引きました」ってのがなかったら、分からなかったかもしれないのになぁ〜なんてことを考えてしまうことも。
 ある程度予想していた結果ではありましたが、それでも仕掛け人形を生まれて初めて作ったにしては、まともに競技ができたことは良かったと思います。とりあえずこれで、ずっと苦しめられた1Rが終わりましたので、敗者復活Rに集中して、決勝R目指して頑張りたいと思いました。
 当初、1Rは1日で終わる予定でしたが、収録が押してPK対決のみで初日は終了。フリースロー対決は翌日午前に行われることとなり、ホテルに帰りました。

10月14日、収録2日目。昨夜はグッスリ寝ることができました。昨日、収録が押して、午前中はフリースロー対決になったので、私は午後からでいいですよと言われましたが、半日ブラブラしているより、せっかくならフリースロー対決も見てみたいということで、収録がある紀藤さんとともに朝8時頃にホテルを出てスタジオに向かいました。スタジオではバスケットゴールが用意され、スタッフが慌ただしく準備をしてました。紀藤さん、上山さんもTシャツに着替え、作品の準備・調整を開始。そんな中、私は何もする事はないので、昨日できなかった収録風景の撮影をする事にしました。紀藤さんの専属カメラマンに任命されたので(?)「ここに座って」とか「向こうをむいて」とか、まさにカメラマンのようにいろいろ注文つけて収録風景を撮影していると、スタジオに入られた有志さんに「あれ?江間さん早いじゃない。いいの?」と言われちゃいました。声かけられついでに、紀藤さん・上山さんの2ショット写真を頼んだら快くOKしてもらい、わざわざマイクも用意して、さらにはセットの前で撮ろうと言ってくださって、バッチリ記念撮影をさせてもらいました。今思うと、私もTシャツに着替えてきて撮ってもらえば良かったなぁと(撮る方に夢中になっちゃって)。
 競技の方は、ホント難しそうでした。弧を描くように球を発射させるのが難しく、また、ゴールが動いているので、方向・距離・タイミングを合わせるのが大変だろうと思いました。もし、私がフリースロー対決だったとしたら、1球も入らないで終わっちゃったかもしれないです。そんな競技であれだけの対決をした2選手はすごいなぁと感心してしまいました。
 競技の結果、紀藤さんが決勝R進出、上山さんが私と敗者復活Rを戦うことになり、午前中の収録は終了しました。

 お昼のロケ弁を食べTシャツに着替えると、いよいよ自分の出番だと、さっきまで気楽にカメラマンをやってたとは思えないほど緊張してきました。敗者復活Rは、それこそ「手先が器用選手権」伝統のバランス系「ミニシャンパンタワー早積み対決」だからです。選手控え室で現物のミニグラスを見せてもらい、上山さんと2人で試しに積んでみる。空のグラスを積むのは以外と簡単で、お互いすんなり15段の山一つを積み上げました。しかし、この上に橋を架け、さらに15段積まなければならないこと、おまけに水を注がなくてはいけないことがどう影響するのか?ということで、全く楽観はできませんでした。でも、できないことは無さそうだし、だからこそ完成させたいと思いました。
 対決の前、手を洗おうと控え室を出てトイレに向かう途中、ロビーの長椅子で有志さんが昼寝をしているのを目撃。考えてみればMCの有志さんは、この「手先が器用選手権」の全収録に立ち会うわけで、それもまたすごいことだなぁと感心し、「ごゆっくり」と静かに通りすぎました。

 さて、いよいよ対決ということで、まず、道具の使用は自由ということでしたが、私は道具は使わず手だけで積むことを選択しました。一般的にはピンセットを使った方がいいと思っていましたが、自分的にはピンセットよりも指の方が使い慣れており、また、同じようにピンセットを使っては自分よりもピンセットを使い慣れている上山さんには勝てないだろうということで。それに、「指だけで極小折り鶴を折る」というキャラになっているだろうから、指だけでいった方がいいだろうと考えてのことです。それから、スタート時点でイスを使いますか?と聞かれましたが、使わず始めから立って作業をしました。私のことをよく知っている人は、ここで「背が高く見えた」と言っていましたが、それは上山さんはイスに座っていて、私は立っていたからというだけなんですよ。
 15時過ぎ、すべての準備が整い、対決が始まりました。何もないテーブルの上にまっすぐグラスを並べるのは大変だからと、開始前にテーブルにテープで線を引いてもらったんですが、微妙に曲がっていたので、やっぱり目を頼りに並べることになりました。空のグラスを積んでいくのは、練習同様テンポよく進んでいきましたが、実はミニグラス1つ1つが微妙にゆがんでいたりして正確ではなかったので、だんだんとタワー全体に歪みが生じてきました。その状態で、5段ごとに水を注いでいかなくてならず、上の方では一滴注ぐ度に揺れて、ものすごく神経を使いました。なんとか橋を渡し、その上に積んでいくと、その揺れはさらに大きなものとなり、結果、23段目で崩壊してしまいました。まっすぐ積んでいったつもりでも、だんだんとゆがんでしまい、また左右のタワーも水平になっていなかったため橋の上の重さに耐えきれず、自然崩壊してしまったものと思われます。これで、また0からスタートになりましたが、もっとしっかり土台から積んでいくためには仕方ないと思いました。
 2回目のチャレンジでは、1回目よりさらに慎重に積んでいきましたが、グラス自体のゆがみから、下のタワーの上部に来た頃にはそれが目に見えるゆがみになっていました。また、途中でグラスが足りなくなったり、橋渡し用のアクリル板が手元になかったりということもありましたが、それでも、1回目よりは橋の上も安定していたので、ゆっくりゆっくり・・・と思った矢先、またしても崩壊してしまいました。今度は水入れ作業をしているときに崩れてしまったんですが、触れた感覚はなかったんですよね。触れたか触れなかったかの微妙なところで崩れてしまったのか、それとも水をグラスに注ぐ際、スポイトから水滴を切り離すときに水が揺れたのか・・・。とにかく、そのくらい繊細なモノなわけです。実際、振動を与えてもいけないということで、カメラマンはスリッパ、それ以外のスタッフは裸足でしたし、空調も切ってました。それで、3時間以上休憩ナシで作業したものだから(別に休憩は自由にしてよかったんだけど(お茶も足下に用意してくれてたし)、積んでる途中で休憩するのはあまりにも怖かったので)、何もしていなくても揺れているような感じがして、タワーが揺れているのか自分が揺れているのか分からない状態でした。なので、3回目に積むときは、隣で上山さんが完成間近だったため、邪魔しないように静かに静かに・・・と、全部取っ払って、また0から始めました。正直もう「誰でもいいから完成させて早く終わろう」と思ってましたので。
 その甲斐あってか(?)、上山さんが見事30段積み上げ、シャンパンタワーを完成させました。そのときは「よかった、終わったぁ〜」と思いました。悔しいとかそういうのはなかったです。2回崩してしまったけれど、最高で23段まで道具を使わず指だけで積んだことで、見せる所はあったと思いましたので。上山さんのコメントの後、敗者の弁を言って、私の2日間の「新・手先が器用選手権U」は幕を閉じました。

 敗因を考えるとき、現チャンピオンの前田さんが初日に言われた「勝ちたいという気持ちの強い人がチャンピオンになる」という言葉が思い出されました。もちろん、チャンピオンになりたいという気持ちがなかったわけではないですが、それよりもいろいろな競技ができたことや「手先が器用選手権」に出られたということだけで、ある程度、目標が達成されてしまっていて、チャンピオンには「なれたらいいな」になってしまっていた事があったかな?と、今思うと感じます。これは1Rにもいえると思います。1Rで勝っていれば、敗者復活Rをする事もなかったのですが、正直なところ「シャンパンタワー」は今回の競技の中で一番やってみたいなという思いがあったから、その通りになってしまったのではないか・・・と。でも、プルプルもやってみたかったんですけどね。
 あと、長時間集中力を保つというのに慣れていなかったこともあったかもしれません。手先が器用な事を生業としていませんので、なかなか長時間集中して作業的なことをすることがないもので。極小千羽鶴も長期間ではあるけれど、長時間続けて黙々と折っているわけではないので(テレビ見ながら、電車乗りながらですから)、やはり厳しかったです。「シャンパンタワー」の時なんかは、自分たちの向かいに有志さんの実況ブースがあって、常時声が聞こえてくるわけですが、そのせいで気が散ってしまうどころか、そっちに気が向いちゃったもので・・・。集中力が足りないなぁと痛感しました。
 このほかにも、いろいろと力不足な点が見えてきましたが、これも「手先が器用選手権」に出場したからこそ見えてきたもので、実際にやってみないことには分からないものです。このことからも、今回出場できたことは本当に良かったと思います。

 収録後は、上山さんや、ずーっとつき合ってくれた紀藤さんと敗者復活Rの話をしたり、2人の明日(決勝R)の話をしたりして、残りの時間もたのしく過ごせました。もちろん、有志さんに2ショット写真とサインをちゃんとお願いしましたし、選手控え室まで来てもらって極小千羽鶴も見てもらえました。「極小鶴」を「極め小鶴?」と読まれたのには驚きとともに新しい発見でした。
 荷物をまとめて、2日間着たTシャツを記念にもらい、お世話になった演出の土方さん・ディレクターの小野さんに見送られながらスタジオを後にするときは、ちょっと寂しくなりました。大変な2日間だったけれど、とても楽しく充実した2日間だったので。その際、小野さんに「江間さんもすっかりテレビ慣れしましたね」と言われたのに対し「いえ、やっと思い出しました」と返しました。忘れちゃわないうちに、また出場したいという思いも込めて。
 ホテルに戻る際、これまでは道の分かるスタッフの方の運転だったのが、この日は初日にホテルまで連れていってくれたADさんが運転するということで、私がナビをかって出たんだけど、珍しくちょっと迷ってしまいました。でも、迷ったおかげでライトアップされた東京タワーを間近に見ることができましたので、いいお土産になったかな?(他の3人には迷惑だったかもしれないですが)

第七章 夢の終わり・・・夢のはじまり・・・

 10月15日、3日間お世話になったホテルを後にする。フロントでは、これまで「行ってらっしゃいませ」と言われていたのが「ありがとうございました」に変わっていました。出迎えも見送りもなく、1人荷物を持って地下鉄の駅に向かう時、「負けたんだなぁ」という実感よりも、まるでこれまでの2日間が夢だったかのように思えました。
 せっかく東京まで来て、スタジオにカンヅメのまま帰るのも何だから、ブラッとまわって帰ることにしました。その中で、六本木ヒルズの森タワーに登ってみたとき、真横に見える東京タワーには目もくれず、少し霞んだレインボーブリッジを眺める自分がいました。そう、レインボーブリッジそばのスタジオで、今まさに決勝Rが行われているんだと思いながら。昨日の競技終了後には、やることはやったし、自分の技術を見せることもできたし、今の力ではここまでだろうと思い、悔いはなかったけれど、やっぱりプルプルも挑戦してみたかった・・・という気持ちが出てきました。その気持ちを確かめるかように、「ゆりかもめ」に乗り、車窓からスタジオのある倉庫を眺めました。もちろん、中の様子は見えないけれど、その見えない建物の中に、忘れてきたものがあるように強く感じました。
 これまでは「手先が器用選手権に出場する」ということが目標であったのが、このとき「もっと上に行く、チャンピオンになる」という目標が生まれました。それは放送を見たことでより大きくなりました。やり残したことがある・・・もっとやりたいことがある・・・。10年間見続けてきた1つの夢は終わったけれど、新たな夢を見はじめました。この夢が、いつま見られるか分からないけれど、終わりまで見続けられるよう、「手先が器用」なことを続けていきたいと思います。早速、ピンセットを買ってきて、道具を使う練習もはじめましたよ。

 最後に、今回「新・手先が器用選手権U」出場にあたり、お話をくださったフォーチュンスープの熊沢さん、制作会社ホールマンの土方さん・小野さん・中嶋さん・川上さん・他スタッフの方々、MCの中村有志さん、出場者の前田さん・紀藤さん・上山さん、そのほか番組製作・放送に関わった多くの方やテレビを見てくださった方々には、本当にお世話になりました。またいつか、お世話になりたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。

フォトギャラリー
このエレベーターに乗ってスタジオ入り。
結構な揺れでした。
この看板を見て、ホッとしました。 ロビーから。
階段の上が選手控え室でした。
裏から見た「新・手先が器用選手権U」。
こんな感じです。
1R審査後、選手控え室で記念撮影。
左から、私・上山さん・神野さん・前田さん・紀藤さん。
紀藤さんと有志さんの2ショット。
演出は有志さんです。
紀藤さん専属カメラマンとして、フリースロー対決の準備の様子を撮影。立ち位置を指示して何枚も撮りました。(何やってるんでしょうね。)
小さなスタジオで、たくさんの人とたくさんの機材で収録が行われていることがよくわかります。
本番中です。
見ているほうも緊張してきました。
選手を苦しめた、マシンの頭脳です。
カーン君も、ゴールもこれで動かしていました。
1R芸術点審査の審査用紙。
なるほどなるほど。
物撮りスペース。
私のと前田さんの作品の撮影途中です。
敗者復活R前、控え室にて。
なぜか紀藤さんが練習中。
対決前の打ち合わせ風景。
さすがに真剣です。
対決前のコメント撮り。
さぁ、頑張るぞ!
あちゃ〜、やっちゃった。
片づけてる姿はカッコ悪いですね。
上山さんはあと少し。
写真なのに息を殺してしまいます。
収録後、有志さんと。
疲れてメガネが曲がったまま撮っちゃいました。
「TVチャンピオン」初仕事のAD・川上さん。
彼も”チャレンジャー”でした。これからも頑張ってね。
「ゆりかもめ」車窓から見たスタジオ。
真ん中の青い建物に閉じこめられてました。

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